オリオン座しか星座は知らない。
オリオン座しか星座は好きじゃない。
オリオン座が冬の夜空にくっきりと浮かぶ様を眺めるのが好きで、大きくなったり小さくなったりする様子で冬の長さを想うのが好きだ。
だから、夏の星座は一つもわからない。大三角形なんて言われて指さされても、どれを結べばいいかわからない。
だから今夜も、彼女に誘われたってだけで蒸し暑い夜にわざわざ田んぼまで来なければよかった。
そんな後悔ももう、午後十時には遅いわけで。
街灯の少ない真っ暗な道路を、オートバイの明かりだけで走る。彼女も私も取り立ての免許で、転んだら田んぼに突っ込んで農家のおっちゃんに怒られるんだろうななんて考えていた。
彼女が言うには、星座を見るには田んぼが一番いいらしい。暗くて、遮るものも電柱数本くらいしかなくて。車なんかも通らないから、寝転ぼうが大丈夫で。
普段は通り過ぎるだけの道のど真ん中で、先を走る彼女のバイクは止まった。私も、その横まで行くと、同じように止まり、エンジンを切った。
校則通りのフルフェイスを脱ぐと、顔を風が通り抜けた。その風は、生ぬるいものだったけれど、蒸された顔を冷やすにはちょうどいいものだった。
「あついね」
ぱたぱたとシャツを引っ張りながら彼女は言う。そりゃそうだ。昼も夜もなく夏は暑いものだから。十六年以上生きてるんだからそれくらい知っているだろうに。
「あ、私ポカリ持ってきたんだった。――はい、さーちゃんの分もあるよ」
あやこは、お世辞にも冷えているとは言えないものを私に差し出した。キャップを開けて一口飲む、もう一口。一気に半分ほど身体に流し込んでしまった。
「ふぅ」
ボトルから口を離してあやこは息を吐く。
「あついねぇ、あつい」
手を団扇にして仰ぎながら、彼女はあついあついと言い続ける。
「だったら、星座なんて見ないで家に居ればよかったのに」
「ウチは冷房禁止だから。どこに居ても変わんないんだよねぇ」
そんなことを聞きたいんじゃないんだけど。
「でも、見たかったんだよね。星」
「何回か来たことあるんじゃないの? ここ」
「ううん、はじめて」
学校で、みーたちが話してたのを聞いてね。なんて彼女は言った。
「じゃあ、みーたちと行けばよかったのに」
「うーん。それじゃなんかつまんないじゃん。初めて同士の方がなんかいいかなって思って」
教えてくれる人がいたほうがいいに決まってる。これじゃ、私たちはなんもない、家のベランダからでも見えるものをわざわざ見に来たことになる。
「たとえばさ、さーちゃん。あそこ、見てよ」
あやこは、斜め前の夜空を指さす。そこには無数に星が散らばっていた。
「あれ、何座だと思う?」
「私、オリオン座しかわからないんだけど」
「いいの。私もわかんないから。何に見えるかでいいから教えてよ」
「んー、じゃあ。『砂糖座』かな。おばあちゃんが卵焼き焼いた後はあんな風に散らばってるし」
「あはは、たしかにさーちゃんのおばあちゃん、よく零してるよね」
「うん。で、いつも私が台拭きで掃除してる」
「塩はこぼさないのにね、不思議だよね」
「そうそう」
「じゃあ、あそこは砂糖座ね。さーちゃんにあげる。――あ、じゃあ私はあそこにしよう」
そう言ってあやこは指をさす。
「あのおっきい星ふたつで、チョーク座」
「ただまっすぐなだけじゃん」
「まっすぐなだけだけどあれはチョーク座なの」
あやこは、数学の榎本の真似を急に始めた。相変わらず似ていて笑える。
「じゃあ、あれは榎本のチョーク座だね。あやこにあげる」
「ありがと」
話をしながら、あやこはふとポケットから携帯を取り出して、天へと向けた。
「写真撮んの?」
「そう思ったんだけど。――んー、だめだ、ぼやぼやしてて全然綺麗に撮れないや」
「まー、なんだ。またくればいいじゃん。夏の間に」
「また一緒に来てくれる? 今日は嫌々ついてきてくれたけど」
嫌々、だったけど一応ついてきただろ。
「まぁ、ポカリ買ってくれんなら考える。あ、やっぱアクエリがいいや」
「そっかー。じゃあ、また誘うからね。今度はみーのおすすめスポットでも行ってみようかな」
なんだか楽しそうな彼女を横目に、私は携帯を取り出して弄る。
「あ、あやこ。あそこ見て」
「ん?」
私のさした先を見る彼女。
「あの、おっきい星あるじゃん? あそこらへんが夏の大三角形なんだって」
「へー、あれが! って、どれとどれとどれで三角形?」
「だーかーら、あの、おっきいやつと――」
「うんうん」
汗でにじむ身体を少しだけ寄せ合いながら、私たちは同じ星を見る。
帰ってシャワーをさっさと浴びたい。そんな気持ちもあるけれど、今この時間も、なんとなく楽しくなってきた。
もし、あやこがまた星を見たいとかいいだしたら、今度はピクニック用のシートぐらいは持ち出してこようかなんて思った。
あと、虫よけスプレーも持ってこよう。
カエルの鳴き声がこだまする田んぼの道の真ん中で、痒くなる皮膚のことを気にしながら、高校生としては遅い時間まで、私たちは星を見上げた。
夏が来るたびに、そんな日のことをよく思い出す。