【ジャンプ+】「うさぎおに」が春蒔初音の「対人恐怖症」を乗り越えさせた方法【考察】

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結果:初音は何を乗り越え、うさぎおには何をしたのか。

さあ、彼女が乗り越えたのはなんだったのか。

一つは「人を信頼すること」

もう一つは「素直になること」

の二つだと思います。

まず彼女のトラウマに注目すると、夏祭りで親とはぐれ、他の人に声を掛けられ腕を引っ張られたことから、他人を信じられなくなったことがあります。そのため他人を信じることができなくなりました。

そしてその時に腕を引っ張られたのが、特に大人は自分をなめているからそんなことをするんだ、というふうに考え始めました。

だからこそ、初音は人を信じられなくなり、自分の気持ちを素直に伝えることにも臆病になりました。

それに対してうさぎおにがしたことは、

「初音の言葉を真正面から受け止めたこと」に限ります。

例えば最初の対話の場面、初音からの「うさんくさい」という発言に対してしょんぼりしたことは、彼女の言葉を受け止めているからに他なりません。

そして夏祭りでの「そうだな、苦しいな」と彼女の言葉に耳を傾け逃げ出したことも、彼女の思いを真面目に受け止めてあげているのです。

このような行動によって、初音は自分の思いを伝える「勇気」をもらったのでしょう。だからこそ、最後に初音が他の園児に素直に謝ることにつながったはずです。

それが「挑戦しても逃げ場がある」、というふうに彼女が捉えたのかはわかりませんが、私にはそう見えました。それは彼女の回想にうさぎおにの言葉があったからです。辛ければ逃げてもいい、というようにも取れるうさぎおにの言葉に彼女は勇気を振り絞るきっかけをもらったことでしょう。

結果彼女はトラウマを乗り越えることができたのでした。

人間にも跳んで逃げることはできるのか

さて、最後にうさぎおにの言っていた「人間にだって本当はできるのさ(人間も苦しいことがあれば飛び上がってみおろせればいいのに、に対する回答)」とはどういうことが言いたかったのでしょうか。

これはおそらく国語のテスト風にいうなら、「この漫画のメッセージ」の一つではないでしょうか。

私の思いとしては、「辛いことから逃げちゃっていい」というメッセージなのではないか、と思います。

例えば初音は読者であり、夏祭りは読者個人が抱える悩みである、としましょう。

そうすると、初音が夏祭りに行くシーンというのは、私たち読者が日頃の悩みの種やその元凶に対して、勇気を持って解決に向かおうとするシーンに見えませんか??

そして、初音が家に帰りたいと思うシーンは、挑んだ私たちがその超えるべき壁の強大さに打ちひしがれ、途方に暮れているシーンに思えませんか?

そんな初音、あるいは読者に対して「人間にだって(跳んで逃げる)ことができるのさ」といううさぎおには、私たち読者に対しても、勇気を持って助けを求めれば、あるいは自分の足を進めれば、何かしらの方法でその場所から跳んで逃げることだってできるんだ、と言いたいのではないでしょうか?

そうしてうさぎおには、初音だけでなく私たち読者に対しても、大丈夫だ、と語りかけてくれているのではないかな、と感じました。

ストレス社会VS心の中のうさぎおに

毎日逃げることのできないストレス社会と戦う私たち。

しかし全くどうしてそこから逃げるというのはみんな反対するのでしょう。

答えは多分、逃げたことのある人がいないから、賛成できないだけだとは思うんですが、うさぎおには違いました。彼は私たちの何倍も生きているはずで、私たちとは比べ物にならないような経験をしてきているはずです。

そんな彼が私たちに「逃げることができる」と伝えてくれているのです。

彼にしてみれば、どんな大企業の偉い人も子供同然です。言わんや、そうでない人もです。

辛いことに立ち向かう勇気も時には必要です。しかし、それで折れてしまっては元も子もない。

逃げる時には逃げる判断をしてもいいのではないでしょうか。それが自分を一番守る判断になることもあるでしょう。ヤバければ逃げる。これを覚えるためにも、心の中にうさぎおににいてもらうのも、一興ではないでしょうか。

まとまってないですが、うさぎおにに対する熱い思いのぶちまけでした。

現場からは以上です。